電波男(本田透/三才ブックス)

電波男
読了。
自虐ネタ本かと思ったら、恋愛資本主義批判本。ここで言う恋愛資本主義とは、モテるために金を稼いで消費する、欲望に忠実な恋愛システムのこと。これは常に異性を意識した消費行動を行わせる、メディアや広告代理店などにとって非常に都合のいいシステムだ。
本書ではその恋愛資本主義がいかにバカバカしいものなのか、これに洗脳された人たちが、どれだけ不幸を生み出してきているのかってことが、これでもかっつーぐらい力説されている。具体的には酒井順子の言う負け犬が、これに洗脳されたいかに不幸な負け組みであるのかが挑発気味に書かれていて面白い。対して恋愛資本主義とは無縁な、メディアにまったく影響されず、独自の価値観に基づく消費行動を行う人たち、つまりオタクこそ真の勝ち組であり、「萌え」こそが現代を幸福に導く唯一の武器になると言うのだ!(その通り) まぁ負け犬に対して勝ち組ってのは微妙だけど、あのエッセイに対するカウンターとして書かれた面もあるので、そういう対比になるようだ。
タイトルが思いっきりのっかっている、電車男に対する言及もある。個人的には秋葉系オタクという電車男の設定には強烈な違和感を感じている。(原作の話ね) オタクというよりただのシャイボーイではないのか?という違和感だ。彼の趣味はオタク的ではあるが、その向こうに彼の価値観が見えない。白紙の彼にアイデンティティとしてなんとなく付加されているだけという印象。そして白紙だからこそスレの住人の意見を素直に受け入れ、エルメス色に染まっていったのではないかと思うのだ。本書では彼が本当のオタクなら、エルメスをオタク化すべく努力すべきだった、恋愛資本主義の呪縛から解き放つべきだったと言っている。ここまでくるとタイトルの通り電波な感じになってくるが、「負け犬がオタクをペットにする話」が、商品のスタイルとして確立しつつあるというのは、本書の言うとおりかもしれない。(mixiのアレとかもそうか?) (似たような話で「おたく男は乙女におすすめ」という愉快な論文がある。書かれたのは10年ぐらい前、且つアメリカの話なのでこのスタイルと直接繋がるものではないけど、同じ臭いを感じる)
とまぁ濃いエッセイ。著者のサイトしろはたでは、表紙だけ女性向けに付け替えたバージョンも紹介されている。