AIR vol.5 購入

AIR 5 初回限定版 [DVD]
いよいよSummer編からAIR編へ。このTVアニメ版AIRは原作A I Rの3部構成を忠実かつハイクオリティになぞっているわけだけど、忠実にであるがゆえに、それぞれのメディアの特性の違いが浮き彫りとなり、ゲームのアニメ化に関してなんか色々と考えさせられてしまう。
原作のゲーム版A I Rは、Dream編では国崎として世界に干渉し、Summer編では第三者として強制的に過去を見せられ、AIR編では“そら”の視点で観鈴を見守るという作りになっている。この複数の視点から物語を見せるシステムの完成度の高さに、当時すごい衝撃を受けたのだ。これは主人公=プレイヤーというゲームならではの表現もうまく利用しており、作った連中マジSugeeee!と本気で思った。
対してTV版は一貫して第三者として物語を見せられる。正確には3部それぞれの主人公の物語を見せられることになる。ここでは主人公=視聴者に出来ない受動的メディアの限界から、ゲームならではだった表現は失われて違和感が生まれてしまっている。ゲームをなぞるだけでなく、アニメならではの表現を生み出すことは難しいかもしれないが、この先追求していって欲しいことだと思う。
ただ、以上のようなことは原作のゲームをプレイしているから思うことであって、原作を知らない人には関係の無いことかもしれない。それとこれは、複数の視点から物語を楽しむ作品が該当することであり、複数のifの世界を楽しむ作品の場合は問題は無いように思える。例えば君が望む永遠のアニメ版には何の違和感も感じない。これは複数のifの世界を楽しむゲームから、一つのルートだけを抜き出してアニメ化したものからだ。観鈴を巡る翼人の輪廻を複数視点から見せるるA I Rにこの方法を適用しても、美凪と佳乃がいなくなるだけで何の解決にもならない。先日アニメ化が発表された“ひぐらしのなく頃に”もA I Rと同様じゃないだろうか。これも複数のifの世界を楽しむものではなく、雛見沢という世界を、複数の視点から楽しむ物語だからだ。